歴史

琴平神社の由来

琴平神社由緒

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琴平神社は1772年(安永元年)関口一郎左衛門らによって、全国金比羅神社・琴平神社の総本宮である

讃岐の金刀比羅宮(象頭山金比羅大権現)より神璽を迎え祀った。

栃木では巴波川の航路での海難(水難)や雨乞いの守護神として信仰され、

地域では特に雨乞いの神として、農民の信仰は厚いものがあった。

古来、雨乞い祈願の神というのは五穀豊穣をもたらす神であり、

特に雨が少ない地方では、田植えの時期に旱魃に悩まされることが多く、農民たちは琴平神社に参拝して降雨を祈った。

琴平神社細之圖

琴平神社細之圖

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琴平神社細之圖 (版画)※野州琴平神社総書図

讃岐の金刀比羅宮(象頭山金比羅大権現)より神璽を迎え祀った。

下野國 金刀比羅山神社全図

下野國 金刀比羅山神社全図

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下野國 金刀比羅山神社全図 (琴平神社)

明治初期の琴平神社の全景が描かれています。たいへん大きな神社であったことを物語っています。

中央後方には富士山、右後方には日光山と書かれてあります。

当時、正面階段を登り境内に入る手前には、石段を包むように大きな門(旭額殿)がありました。

残念ながら、1945年(昭和20年)12月 の山火事で全焼してしまいました。

琴平神社境内之圖

琴平神社境内之圖

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明治初年野州柏倉鞍掛山 琴平神社境内之圖

最盛期には、神官11名、巫女16名が常在、茶屋も62軒、芸子多数住み込み、参拝客もぞくぞくと来参しました。

また、住み込みで働いている人の子供たちのための寺子屋などもありました。

旭額殿

旭額殿

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旭額殿(三階建)

神社正面の大門(正式名称:旭額殿)を神社境内から撮った昭和19年頃の写真です。

明治11年に完成した山門にも似た三階建額殿は間口8間、奥行4間の大きさで、

土台の石垣は一番下が10段あり高さ2間(3.6m)、横の長さ5間(9m)、奥行2間(3.6m)の石垣になっています。

写真は境内から撮っているので額殿の三階が写っています。 額殿から景色を眺めている人が数人います。

左右に石塔が立ち、その奥には大きな天水桶(水桶)もあります。

右の天水桶(てんすいおけ)のところには女の人が座っています。

その天水桶を良く見ると、建物から樋(とい)が伸びているのがわかります。

天水桶の水は、建物から雨水を集めて貯めていました。

しかし、この桶(おけ)も鉄で出来ていたので、戦時中 国へ供出しました。

昭和20年の大火事でこの立派な額殿と周囲の松、社務所が全焼しました。

残ったのは、愛宕神社だけだったそうです。「あと桶一杯の水があったら火は消えていた。」という話もあります。

天水桶があったら完全に火は消せたでしょう。 現在は山門土台となっていた石垣が残っているだけとなってしまいました。

戦争がすべてを消してしまった・・・と思うと残念でなりません。

讃岐の金刀比羅宮との関わり

金比羅神社・琴平神社の総本宮である讃岐の金刀比羅宮 

一般に「こんぴらさん」と呼ばれて親しまれている神さまである。その本拠地は、四国の金刀比羅宮(香川県多度郡琴平町)にある。

金比羅(こんぴら)様は、本来は薬師如来の十二神将の筆頭・宮比羅大将(インドではクンピーラ)のことで、般若守護十六善神の一に数えられる守護神であり、

釈迦が修行したというヒフラ山の守護神でもあります。このヒフラ山は形が象の頭に似ていることから象頭山(ぞうずさん)とも言います。

クンピーラは、漢訳して官毘羅(グビラ)大将、金比羅童子とも呼ばれました。十二神将が司る干支のうち、子の方角を司り、色の中では黄色を表す。その手に宝杵を持った姿で描かれる。 

クンピーラ神は、ガンジス川に棲む鰐の神格化されたものである。日本神話でも鰐は海神や 龍神、水神と深く関係しているように、クンピーラは日本に入ってくると

海神や龍神に見立てられ海難や雨乞いの守護神として信仰されるようになりました。特に雨乞いの神として、農民の信仰も 厚いものがあります。

古来、雨乞い祈願の神というのは五穀豊穣をもたらす神でもありました。 

特に、雨が少ない地方では、田植えの時期に旱魃に悩まされることが多く、農民たちは金比羅(こんぴら)様に参拝して降雨を祈ったのであります。 

漁民や農民の厚い信仰が、当然のように一般の人々にも浸透し、金比羅(こんぴら)様への参詣が盛んになったのが江戸時代だったそうです。

江戸や大坂から「こんぴ船」と呼ばれる金比羅参詣専用の船が出されて大にぎわいの盛況を呈しました。

そうした人々が金比羅(こんぴら)様に祈願したのは、諸願成就、商売繁盛といったものでした。また、古くから道開きの神様として信仰され、海や川では海上交通、水難等の守り神として、陸では道路交通の守り神とされています。

また、主祭神の崇徳天皇が、讃岐の金刀比羅宮でいっさいの欲を断ち切って参籠(おこもり)されたことから、断ち物の祈願所としても信仰されてきました。

それは、戦によって心ならずも寵妃烏丸殿とお別れにならざるを得なかった、崇徳帝の悲しみのお気持ちが、幸せな男女のえにしを妨げる全ての悪縁を絶ちきることから。

病気、酒、煙草、賭事など、全ての悪縁を切り、事が良縁に結ばれるといわれています。